次々と消えて無くなり、今では季節臨や予定臨としての運用でしか見られません。
まだ国鉄色で元気に走り回っていた頃のショットを集めてみました。
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かつて修学旅行専用車きぼう号として関西地区で活躍した167系 湘南色に塗られ、座席も3×2から2×2に改造された後も波動用 急行任務に多く就いていた。宮原車の165系混じりの8両編成に 「急行」の赤字方向幕を掲げて走る姿に往年の栄光が見え隠れす る。写真は降りしきる雪の犀川橋梁付近を行く急行ちくま82号 |
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世界初の寝台特急電車として華々しくデビューしたのは25年以上 も前の話になる。月光型と呼ばれるこの583系は車両限界ぎりぎ りまでのサイズを誇り、まさに巨艦であった。その583系が夏の 季節臨「シャレー軽井沢」として国鉄色のまま信越線に入線した頃 の写真です。特急型車両を多く抱える向日町の自慢の車両でした (信越線戸倉〜坂城間にて) |
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横川〜軽井沢間を越えるために作られた数々の専用車両。上野 から長野を結ぶ急行信州用として誕生した169系。現在は ローカル運用がほとんどだが、急行天竜として残った車両達は 比較的恵まれた運用に就いた。長野〜飯田を結ぶ直通列車は 天竜からかもしかへと名を変え、快速格下げ後もリクライニン グシートをおごられた快速みすずとして活躍した。長野車を表 すNの文字が車体の横に描かれた異彩を放つ車両になってしま ったが現在はローカルと同じ長野色に塗り替えられている。 写真は名所姨捨付近を行く169系みすず |
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東海道線の黄金時代を築いたブルートレインの初代車両20系 14系や24系にその座を奪われると波動用の寝台急行等に 活躍の座を求めて日本中を転々とした。信越線で単独の20系が 見られるとは夢にも思わなかったが九州の修学旅行臨で学生を乗 せた20系が平成1年頃から毎年入線した。30年の栄光をひっさ げ走る姿はとても美しく、しばし見とれていた。カマもユーロ色塗り 替え前の静岡の35号機である。(犀川橋梁付近にて) |
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165系と共に急行型として全国でも最大両数を誇った58系。 全盛期にはグリーン車2両を従えた12両フル編成も各地で見受け られた。その機動性、動力性能の高さから現在でも非電化区間の あちこちでローカル運用に活躍しているが国鉄色がしだいに消えて しまっているのは寂しい限りだ。写真は長野〜小諸〜小海線〜 小淵沢〜松本〜長野とぐるっと1周する臨時列車、その名も信州 循環列車に抜擢された国鉄色時代の58系3連 (降りしきる雪の犀川橋梁付近にて) |